記憶の圧縮
Lossy Memory
04: なぜ「大切な人」ほど、ぼやけていくのか
先生。ご無沙汰しておりました。
……あの。念のため、伺うんですけど。
私のこと、覚えていらっしゃいますか?
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いえ、いいんです。カルテをめくってくださって。それでいいんです。むしろ今日は、その仕草の話をしに来たようなものですから。
私ね最近、母の声が思い出せないんです。
あんなに毎日聞いていたのに。叱る声も、笑う声も、電話口の「もしもし」も。全部たしかにそこにあったはずなのに——再生しようとすると、輪郭が溶けているんです。
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先生は”非可逆圧縮”をご存知ですか。
写真や音楽を小さなファイルにするとき、使われる技術だそうですね。JPEGとか、MP3とか。容量を減らすために、人間が気づきにくい情報をこっそり捨てているんです。たとえばJPEGは「色」という大づかみな印象だけ残して、目には見分けのつかない微細な濃淡を捨てる。MP3は「メロディ」という芯だけ残して、耳にはもう聴こえない高い周波数をそっと切り落とす……。
そして——捨てた情報は二度と戻らない。だから「非可逆」。復元ボタンはないんです。
脳も同じことをしているらしいんですのよ、先生。
毎日の記憶を、そのままの解像度で全部保存はできない。だから脳は圧縮する。要点だけ残して、細部を静かに捨てる。母の言葉の「意味」は残して、「声そのもの」を削ってしまった。
効率のためです。合理的な処理なんです。ただ——削られたのがよりによってあの声だったというだけで。
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ここに残酷な非対称があって。
よく会う人ほど、脳は「またすぐ手に入るから」と油断して細部を捨てるんです。何度でも上書きできると思っている。だから身近な人ほど圧縮率が上がっていく。
逆に、一度きりしか会わなかった人のたった一言は——妙に高解像度で残っていたりしませんか? 二度と聞けないかもと脳が知っているから。
つまり、大切にしていたものほどぼやけるんです。ありふれているから。いつでもあると思っていたから。
先生。これ、ずるいと思いませんか。愛していた証拠が、愛していたせいで消えていくなんて…
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それで先生、私、抵抗を試みたんです。
書く。
圧縮される前に、細部を外部に書き出しておくんです。あの日の母が着ていたセーターの色。台所の換気扇の音。「早く寝なさい」の、語尾の上がり方。
脳の中の非可逆圧縮には逆らえない。でも、圧縮される前にコピーを別の場所へ逃がすことはできるんです。
ノートでも、写真でも、なんでもいいんです。それは記憶の「保存」じゃなくて——圧縮からの避難というわけ。
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書きとめた朝は、少しだけ救われました。
声そのものはもう戻りません。でも「早く寝なさい」の語尾のことを、私は文字にしてもっている。再生はできないけれど、参照はできる。
それで十分なのかもしれません。全部は抱えきれないんですから。何を残して、何を手放すか——それを自分で選べたなら、脳の勝手な圧縮に全部任せずに済みますもの。
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最後に、訂正をひとつ。
「忘れる」とは、記憶が消えることではありませんのね。
どれを捨てるかを、脳に無断で決められてしまうことなのですね。
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あら、先生。
……今、こっそり、カルテの名前を確認なさいましたね。