昔、日常に檸檬爆弾を投げ込め!というブログを長いこと続けていた。
それを書いている期間は自分の音楽制作は全くしておらず、インターネットの会社で音楽映像コンテンツを作ったり、レコードメーカーで配信の仕事をしていた期間。その期間は自分の中で大きな矛盾を抱えつつも、組織の中で仕事をすること自体が嫌いでもなく、それがまた強みでもあり弱みでもあるのか・・・、という面倒臭い評価を自分に下していた。一言でいえば、日常的にうっすら靄がかかっていたような感じで、それをたまに酸っぱくて爽やかな檸檬を日常に投げつけて瞬間的にでも、靄のかかった現実を粉葉みじんにしてやりたかった。
そんな檸檬爆弾は、勿論、梶井基次郎の「檸檬」がその意識の基礎であります。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。
これは世界との対決なんだな、と。自分以外の一切合切との対決。
本の上に置かれた檸檬はもう、普通のレモンには戻らない。
カーンと冴えわたる黄色い爆弾を胸にいつも抱えて投げ込んでやる。
砕けた現実を想像して、また前を向いて歩く。
自分にキャッチコピーをつけたことがある。
”前向きな根暗”
つくづくそう思う。