ダンサーであり俳優でもある田中泯のドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』を見た。
音楽は私の一生の推し作曲家である、上野耕路氏。
高校生の時に彼の音楽を聴き衝撃を受けた。
当時、雑誌”美術手帳”に連載していた記事は毎号購入し、上野氏がおすすめの音楽や本などはでき得る限り買ったり借りたりして吸収していった。私の美学はそれらで作られたといっても過言ではないほどだ。とにかく影響を受けまくっていた。
中沢新一や浅田彰などのニューアカデミズムが流行っていたりして、いわゆる”知”の新しいブームが起きており、音楽でいえば細野一臣とか坂本龍一とかその辺りの音楽家がニューアカになぜか絡んでいた印象。
そんな1980年代後期から1990年代初期の匂いをこの映画から感じとった。
当時いろんな音楽家が知を纏った音楽を作って崇められてたけれど、上野耕路氏だけは地に足がついている、といいますか、本当の天才音楽家なので同列に語られたくない。そんな確固たるファン心理が私にはある。
まっとう過ぎて世間から微妙にずれてしまう。その刹那で美しい歪みをこの映画音楽の中でも聴くことができる。
田中泯という相当に力強くも飄々としたダンサーを主題にしている時点で、なかなかそこにつり合いのとれるアート(音楽)はぶつけられないと思うが、さすが犬童一心監督。最強の懐刀を出してくる。
映画の中で、田中泯がフランス哲学者のロジェ・カイヨワの『遊びと人間』のくだりをもってきた。その昔、私も天才に薦められたヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(遊ぶ人)を読んでいた。よって、この映画の中の軸である”遊び”という概念の感覚を共有しやすかった。いろいろとつながっているな、と思う。つくづく。
そして、この映画は音声・音響にも非常に力を入れている。まつ毛1本1本の動きに関連する音すらも拾おうとする狂気を感じる。
万人受けはしないであろう作品かもしれない。しかしながら、アートを愛する人であれば何かしらひっかかるものはあると思うような作品。濃密な2時間。
いつか田中泯、そしてこの映画で知った女性ダンサー石原淋の舞台を見てみたいと思う。
2022.03.27 吉祥寺アップリンクにて